勝目健吾のプロフィール

 埼玉県さいたま市生まれ

ファスティング研究家/体操競技専門家/大型バス運転手/カラオケ精密採点100点スコアラー

イジメを克服した武器

小学校の時より体が小さいせいでイジメを受ける。

この経験はのちに繊細な心を身に付け、人に優しく接するマインドの基盤になったように思う。

5年生の時。ひょんな事からそのイジメが無くなる。

それは父親が昔『体操部』だったこともあり、手取り足取り教えてもらった『バク転』だ。

割とすぐに覚えた私はすぐさま皆んなの前で披露する。

『すげー!』と連呼され、周りからも少しずつ認知されると、

いじめっ子達を「あいつあんまりイジメない方がいいかも…」という心情に変化させたのか、

本当にパタッとイジメが無くなった。

中学に上がり、当時は存在することすら珍しかった『体操部』に入部することができた。

身体は硬く基本である柔軟体操には毎日のように泣かされたが、身軽だったせいもあり少しずつ技を覚え、気づくと

『市内大会優勝』『県大会優勝』の成績を残すことが出来た。

余談だが、後にも先にも人生で1番女子からモテたのはこの時期だと思う(笑)

バレンタインは10個以上、ラブレターや告白など、チビの私にここまで寄ってくるかと言うほどの経験だった。

ウブだった当時の私は「付き合う」事の意味さえ知らず

「付き合うって買い物に?」なんて事を真顔で返答したものだから、愛想を尽かした女子たちは去っていった(笑)

有頂天だった鼻をへし折られる高校時代

高校はというと、中学での成績が認められ、

スポーツの名門『埼玉栄高校』に特待生として入学した。

確か入学金が半分、更に3年間授業料免除というとんでもない高待遇だったように記憶している。

私自身2人の子を持つ親だが、ただでさえ学費が高額である私立高校であるのに、公立より安い学費で3年間過ごせたことは、今考えてみてもかなりの親孝行だったんじゃないかと思う。

しかし部活の練習はと言うと…流石、全国からトップ選手を集わせる事がウリの高校、そしてコーチも中国人の世界チャンピオンを招き入れ指導に当てるという、まさに『スパルタ』そのものだった。

休日のない練習、壁倒立15分間などの想像以上の過酷な筋トレや飛び交う怒号に、我慢できずに我を忘れて、体育館中に響く声で泣き叫ぶ日もあった…(17歳なのに)

中学での好成績で有頂天になり、高校でもすんなり上達できるだろうと安易な考えでいた私は、まさにその鼻をへし折られる

のであった。

しかし、どんなに辛くても怪我をしても辞めようと思うことはなかった。これが若さなのかもしれない。

やがてそのスパルタ教育も強靭な肉体や精神面の強化に繋がり、結果、『インターハイ』や『全日本ジュニア』『高校選抜』に出場することが出来た。

チームとしては毎年のように全国優勝していたが、まぁ私自身のレベルは高くはなく、高校では『種目別つり輪4位入賞』が最高成績だった。

まさかの試合直前に靭帯損傷をしてしまい、病院で足に痛み止めの注射を3本も打ち、痛みに耐えながら臨んだ試合は今も忘れることはない。

社会人実業団でようやく花が咲く

高校を卒業後は、両親を助けながら体操を続けたいという思いから大学には行かず、実業団に所属し、働きながら競技を継続していく道を選んだ。

高校の監督に紹介してもらったその会社は、競技には全く関係ない『ガラス職人』だった。

勤務を終えた後、近隣や母校で練習をさせてもらい、毎年行われる『全日本社会人選手権』に計4回出場する。

第1回目、19歳という若くピチピチしていた時に出たこの大会で、『ゆか運動優勝』という日本一の称号を手にする事が出来た。

これが私にとって体操人生のピークと言えただろう。

本当に体操選手は男女とも選手寿命が短い。30歳で現役を続けている選手はほぼ居ないのが現実だ。

大人になってからのイジメで再形成されるもの

23歳で引退後は鍛えた体を生かし、さいたまスーパーアリーナ内にあるGOLD’S GYMでトレーナーのアルバイトを1年間経験。

解剖生理学や筋肉の使い方を学ぶ。

同時に牛丼の吉野家でのアルバイトも始め、調理や運営に関して興味を持つようになる。

3年半の勤務を終え、バーテンダーや病院食のパートを経験し、

当時の会社の先輩に『君、料理やりたいならドイツ日本館ってお店を紹介するから行ってみない?』という、

いきなり海外のお店を紹介され、

意を決した私は25歳で「単身ドイツ渡航、料理修行の道」を決める。

いざ、海外での仕事や生活をしてみると、当たり前だが言葉も文化も違い困惑。

そんな環境での1からの修行は、明らかな陰湿行為をしてくる先輩も居たせいか、まさに鬼畜の所行だった。

頭突きをされ、前歯を折られたこともあった。大出血だった。

そして、帯状疱疹や躁鬱状態になり、楽しいこともあったが仕事での辛さが勝り、2年で帰国する。

幼少時代に比べると、大人のイジメはタチが悪い。精神も肉体もぼろ雑巾のようになる。

いやがらせや暴力などを受け、「痛い」「つらい」「悔しい」などの感情が、「人の痛みがわかる」「人に優しくできる」

「相手の気持ちになって言動する」というマインドを生み出し、脳にインプットされる。

よく大人になってから性格、人格なんて変わらないでしょ!という話を聞くが、私はそんなことないと思う。

ここでの経験が、成人してからの私の、人格形成や価値観の土台となっている。

その後はドイツで培った料理経験を生かし、27歳で埼玉の川越で居酒屋の料理長を務めるも経営の難しさを痛感し、1年で閉店を余儀なくされる。

全く違う仕事後したい!と思い始めた私は29歳で

『TBSでの旅客運搬業』つまりロケバスのドライバーという異種業界に入社。

そしてまたここでも、先輩上司にもみくちゃにされ、しんどい状態は続いたが、無事『大型免許、大型2種免許』を取得。

プロドライバーとしてひとり立ちを果たす。しかし元々、運転技術に関して何の秀でたところもなく、そこに自身の不器用さも相まって社内イチ、『事故率が高いドライバー』として長く君臨する(笑)その期間、約13年(笑)

大問題の社員だ。

もちろん、コツン程度の軽微な物損事故ではあるが、むろん社内では人気者、いや、笑いものだった。

しかしこのような経験は、事故の大小に関係なく、起こした人にしか分からない『失敗したからこそ学ぶ事』が往々にしてある。

13年間で13回の物損事故を起こした奇跡(?)の運転手は、奇しくも多方面に渡る事故回避策や運転テクニックの習得に繋がったのだ(笑)

これは体操競技とも似ている。

失敗して失敗して技を体に染み込ませ体得する。そう、俗に言う『失敗は成功のもと』なのである。

体調悪化、病気を克服させた『ファスティング(断食)』

無事故な状況が継続し始めた頃、これまでの積み重ねなのだが、体調面の悪化に拍車が掛かる。生活不摂生での『肥満』、12年間で4度もの『尿管結石』、さらに『うつ病』まで発症し、ついに13年間という長いテレビ局での仕事にピリオドを打った。

現在はその病気を克服した『ファスティング(断食)』の知識を身に付け、ダイエット、栄養学、病理学の観点からアプローチし執筆、活動中。

体を細胞から元気にするための『つらくないファスティング』と題しその素晴らしさを教えている。